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躍進企業REPORT

モトヤ:業界発展支えて100周年〜モノ売りからコト売り商社へ

印刷ジャーナル 2022年2月25日
初代 慶次郎氏
二代目 正夫氏
三代目 慶造社長
初期のタイプレス

 (株)モトヤ(大阪市中央区、古門慶造社長)は今年、創業100周年を迎えた。活字の販売から日本で初めて文字のデジタル化に成功し、新聞業界に大きく貢献する一方、日本文をタイプライターで組版する方式を開発し、「タイプレス」として市場に投入後、その印字精度を極めて向上させた曲面活字の開発、さらに作業性を大幅に向上させた組版システムを上市して印刷業界発展に大きく貢献してきた。以来、機材販売にとどまらず業界(企業)の環境対策から補助金申請支援活動にも実績を積み上げ、「モノ売り」から「コト売り」商社として大きな節目を迎えた。そこで今回、古門社長に100年を振り返りながら同社の現状と今後について話しを伺った。


 モトヤは大正11年2月、古門慶造社長の祖父・慶次郎氏が兵庫県姫路市において活字の製造販売業「モトヤ商店」を開業したことに社歴は始まる。

 慶次郎氏は独立以前、兄弟3人で神戸市内において印刷業を営んでいたが、それぞれが財産分けの形で独立する際に「みんなが印刷業では競争になって困る」ということで別の商売を検討したが、簡単に他業種で生計が成り立つわけもなく、活字の製造販売の道筋を見出しての出発だった。

 しかし、事は上手くいかず商売が軌道に乗るまでにはそれなりの時間を要し、一時期は市内の印刷会社でアルバイトをして生計を立てる日々が続いた。「そんな当時のことをよく祖母から聞かされた」と慶造社長。どちらかというと「おばあちゃん子」だったようで、いつしかその苦労話が身につき、社の生い立ちや歴史の重さ、そして会社を愛する気持ちが人一倍育くまれてきたようだ。

 屋号の「モトヤ商店」は、印刷の元(活字)の製造販売という意味で名づけられたが、欧米の文化が押し寄せる中で「漢字より片仮名の方が時代に合う」と、当時10歳だった2代目・正夫氏の提案。わずか小学5年生の頃というから驚きだ。

 そのうちに商売も軌道に乗り、昭和30年代に入って「商店」の2文字を取って「モトヤ」に改め、商売は一層弾みをつけていった。


二代目 正夫社長の時代
種々の開発で基盤強化


 昭和21年、慶次郎氏の他界にともなって社長に正夫氏が就任した。この3年後の昭和24年、全国展開という夢の実現を目指して本社を大阪市内の現在地に移し、株式会社に法人化するとともに「モトヤ書体」を開発し、正夫氏が念願としてきた書体メーカーとしての企業形態を整えた。

 この後、昭和26年9月、福岡事業所開設を皮切りに、同27年に東京、37年に名古屋、40年に横浜と相次いで拠点を拡大したほか、30年代には外国製印刷機の輸入販売にも着手するなど、エネルギッシュな活動で業容を拡大していった。

 そんな正夫氏は、幼い頃は成人までの寿命が危ぶまれるほどの病弱だったというから、これもまた驚きである。

 「健康を気にして水泳や体操など、時には伝馬船を漕いで海に出て、漕いでは飛び込み、また漕ぐ、自分なりの健康法だったようです」と慶造社長は語る。

 正夫氏は病弱であったために徴兵検査に通らず、川西の軍需工場で働く時期を過した。24時間の交替勤務制であったことから、休日は活字を鋳造し、夜は寝る間を惜しんで書体の開発に没頭したという。幼い頃は、何事も上手にこなす器用なところがあった。とくに習字は得意科目のひとつで学校内でも定評だったようである。この頃養った文字書きの技能が、後の書体開発に活かされたわけだ。

 「昭和38年頃、米国の業界視察から帰国して、いきなり『活字はなくなる。これからはコンピュータによる印刷の時代。それを考えろ』というのです。自分の目で確かめ、判断し、実行する。そんな親父の背中でした」

 昭和44年9月、モトヤは日本で初めて文字のデジタル化に成功し、新聞紙面のデジタル化に大きく貢献した。

 この頃印刷業界は、「活字よさようなら、コールドタイプよこんにちわ」と、いわゆる活版印刷からオフセット印刷へ移行する流れに対し、昭和45年、日本文をタイプライターで組版する方式を研究開発し、「タイプレス」の製品名で市場への投入を開始した。当初は平面活字であったため、円形上のシリンダーに巻き付けた用紙への印字が大きな活字を使用する場合には上下と真ん中で印圧に差が生じる不具合に対し、同社は急遽「曲面活字」を開発して搭載。これを機にタイプレスは爆発的なヒット商品となった。

 その後、電動式タイプレスEE型、マイコン制御式のMT-5000、簡易型の3000など相次ぐ開発によって国内の印刷出版業界に一大旋風を巻き起こした。

 こうした開発と実績が評価され、同社は昭和53年に第6回発明大賞考案功労賞、56年10月には一連の組版システムの開発育成の功績で第1回科学技術庁長官賞の栄に浴している。


機材販売から販促、環境、経営支援まで


 昭和47年、古門慶造氏はモトヤに入社し、49年秋からタイプレスの技術サービス担当として奔走する毎日が続くことになり、「大阪市内担当から神戸へ転勤して配達からサービス、営業までやりました。東京に転勤して後継機のマイコン搭載のMT-5000が発売され、爆発的な売れ行きになり、電気系統の技術サービスが追いつけない状態となって開発部門と大喧嘩することもあり、『それならお前がやれ』ということで気がついたら本社の取締役開発部長の職に就いていました。まだまだ活字も使われており、思えば良い時代でした」と懐かしげに語る。


三代目 慶造社長の時代
基盤築いた活字と決別


 昭和61年5月、サービスから技術開発部、時には営業も。鋳造工場から母型の現場まで、ひと通り経験した上で3代目代表取締役社長に古門慶造氏が就任して現在に至っている。

 昭和57年、九州松下電器との共同で電子編集組版機WP-6000を開発し、組版機のシステム化と完全自動制御による高品質化、効率化に貢献。60年には電子組版システム「LASER7」シリーズを発売。63年に爆発的に市場に受け入れられた「EX」シリーズを発表後、組版機絶好調の平成8年、企業基盤の土台を築いてきた「活字」との決別の日を迎えたのを機に本社2階に「活字資料館」を設置した。鉛活字の製造や組版作業の様子、今に引き継がれているフォントデザインの過程などに加え、かつての名機の数々が展示されているが、この開設日はモトヤがアナログからデジタルの世界で生きていくことを宣言した記念すべき日となった。

 「平成10年、プロ用ウインドウズDTP『PROX ELWIN』を発表し、18年まで組版機メーカーとして種々の機器を業界に提供してきました。私の思考の転機となったのが阪神淡路大震災です。毎年開催していた神戸支社の展示会は翌年に開催しました。開催にあたり社員から『来場者に対してモトヤの考え、方針についての話をお願いしたい』という申し出が再三にわたり、『それなら』ということで昼食を挟みながら雑談形式で開かせて頂きました。そこで私は開口一番、『今日は機械を買わずに印刷会社としての強みをもつヒントを持ち帰って頂きたい』と申し上げました。皆さん驚かれた様子でした。機材販売会社のトップとして、また展示会主催会社のトップの言葉だから皆さんキョトンとされた感じでした。『機械を買ってまた地震が起きたらどうしますか。大手にさらわれた後の仕事確保に値下げ受注という下請け的活動になりませんか。それなら止めてください。大切な資金であり、有効活用してください』、そうお願いしました。つまり厳しい競争社会の環境下、値段競争ではなく、他社にできない仕事、他社にない強みを見つけていただきたかったわけです」。この当時の考えがコラボレーションフェア開催の基になっている。

 その後、古門社長は長期化している経済不況下、業界でいち早く「コラボレーションフェア」を企画開催し、印刷会社相互のコラボレーションを提案した。平成14年以来、これまで東京・名古屋・大阪・神戸・姫路・福岡の各地で開催し続けてきたが、近年では新型コロナウイルスによる感染防止の観点から中止されている。

 この開催について古門社長は「印刷会社それぞれが自社の強みを共有し合うことで生産上の得手不得手を解消し、工場作業の効率化などに加えて市場からのあらゆる要望に即応する体制確立が実現して需給両社の絆を強めることになります」と語る。草創期に掲げた社是「顧客と共に栄える」の経営方針に基づく業界活性化に向けた同社の貢献姿勢を具現化する形の開催であった。

 結果的にはこれが業界に浸透し、業界思考の商社だとの理解を深め、機材販売にも繋がった。


モトヤ書体
人材教育と人材派遣


 書体開発は、大阪に本社を構えた昭和24年に始まり、鉛活字からタイプ活字、写植用文字盤、デジタルフォントなど、様々の情報発信手段に対応して製品形態を変えている。その生命ともいうべき可読性や美しさが開発の基本中の基本とされてきた。

 情報伝達の正確さとデザイン性を併せ持ち、Web地図フォントとしてまた、携帯電話などに採用され、また組み込み分野では医療関係や精密機器、車載ディスプレイのほか、ゲーム機や地図など幅広い分野で採用されている。

 平成12年にフォントのオンライン販売事業として「Moto Shop」を開設。22年9月、Google社の携帯電話向けOS「Android」の開発を推進する団体であるオーン・ハンドセット・アライアンス(OHA)に参加し、Androidプラットフォームに対してモトヤフォントを、オープンソースライセンスに基づいて提供を開始。また、28年にはモトヤ全書体が年間ライセンス方式で使用できる「モトヤLETS」の提供を開始した。こうしたフォントの理解を深めるために専用サイトを立ち上げ、ラインアップをはじめ、導入事例や「お試しフォント」が無料でダウンロードできるなどの必要情報を発信している。

 さらに教育部門では平成13年に東京・大阪・名古屋・福岡の4地区に「モトヤDTPスクール」を開校し、(公社)日本印刷技術協会のDTPエキスパート認証試験指定校として認定を受けている。

 翌14年には東京・大阪圏でDTPオペレーターに特化した人材派遣事業を開始している。


補助金申請支援に成果


 「顧客貢献事業として平成24年からものづくり補助金申請支援活動を行っております。せっかくの国の支援施策を如何にして業界に反映させていくか、随分苦労もしましたが、大号令のもと社員たちが本当によくやってくれました。感謝しているし、誇りに思います」と、従業員の協力、ヤル気に感謝の念を表しており、また、これまでのご自身と会社にとって共に考え、時には喧々諤々しながらも行動を共にしてきた森田恭市氏(常務・専務を歴任し、現顧問)の存在は大きかったようだ。

 「ものづくり補助金の経験から、東京都助成金、IT補助金、省エネ補助金、そして事業再構築補助金など数多くの補助金申請業務に携わってきました。成果も十分出せており、お客様にも喜んでいただいております。申請だけはお受けしておりません。一緒に申請するパートナーと考えるからです。設備する機器はお客様が選択されますが、その機器が導入後活躍しているか、もし活躍していないのなら何が問題なのかを、一緒になって考えさせていただきたいと思っております。関連の資材などを販売させていただき、日々お客様に寄り添っていきたいと考えております」

 平成24年の取り組み以後、自慢すべき多くの採択実績を上げている。この成果は印刷機材販売上に信頼を介在させることになり、モトヤの「特長、強み」と言える。


環境問題への取り組み


印刷会社の職場環境を考え、印刷会社の社員の健康を守る商品として環境と価値を追求した資材「ECO no MIST」の販売を開始している。

 「印刷現場の環境問題についてはよく考えていただかなければなりません。企業にとって社員は大切な財産です。財産を無駄にしてはいけません。若い社員が入ってこないのはどこに問題があるのでしょうか。トップダウンで環境を変えなければ取り残されてしまいます。また、これからの業界を考える中で、手軽で環境問題にも対応、印刷会社さんが一般企業へ提案できる屋内のサインシステムが見つかりました。デザインを施したファブリック(布)の周囲にラバーを縫製し、アルミフレームの溝にはめ込むだけの簡単施工サインシステム『LUFAS』で、令和元年から販売を開始。スタンド、壁面、天井、吊り下げタイプがあり、空港などの大型施設や商業店舗などでお使いいただいています」


『コト売り』商社としての強みを発揮


 社長就任後、機材販売から販促支援、システム提案、そして環境対策から経営支援まで相次いで商品を増やし、事業を拡充して現在に至っている。印刷DXへの取り組みとして、定期的に取引する商品の発注書をWeb上にまとめ、スマホやPCからいつでも簡単に発注できる「モトヤe-LINE」を開設、同業他社とは一味もふた味も違った業界貢献を目指して今日を迎えた古門社長。

 「私たちの願いは業界の活性化、顧客への利益貢献です。いまコロナ禍にあって業界は受注環境が激変し、資材も値上がりして厳しい状況です。加えて企業の社会的責任の一端として環境対応が一層強く求められていくでしょう。ご承知の通りいま、世界で気候変動による自然災害が多発しており、地球レベルで地球温暖化防止への取り組みが行われています。日本も2030年までに二酸化炭素を2013年比で46%の削減、2050年には温室効果ガス排出をゼロにするカーボンニュートラルを目指しています。製紙メーカーの森林事業やプラスチック、ビニール袋使用の削減、あるいは廃止など様々な取り組みが進んでおり、脱炭素社会実現に向けた大きな投資も行われています。印刷業界も環境保全の観点から今後さらに強い対応が求められていくと思います。そんなことを総合して私たちは、SDGsへの取り組みを意識しながら皆さまと一緒になって経営、環境問題、そして生産の効率化などを提案し、『コト売り』商社としての強みを発揮していきたいと思います。これまでの感謝を表す意味からも、お客様思考の考えをより強くして喜ばれる企業、必要とされる集団であり続けること。そして儲けていただくことにしっかりと軸足を置いていきたいと存じます」と語る。