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 原点、そして未来へ--。戦後、日本各地に焼け野原が広がっていた1946年、活字の製造・販売業としてスタートし、今年、創業70周年を迎えた(株)光文堂(本店/名古屋市中区、讃岐秀昭社長)は、「印刷のその先へ」をテーマに、印刷を情報伝達という広い視野で捉えた幅広い事業展開に邁進している。印刷業界屈指のディーラーとして、5代目・讃岐社長を筆頭に、これまで光文堂を信じて信頼関係を築いてもらった取引先に深い感謝の気持ちを抱きながら、さらに印刷業界に貢献する企業として躍進していく決意を新たにしている。そこで今回、2010年よりトップリーダーとして同社の舵を取ってきた讃岐社長に、これまでの道のりと今後のビジョンについて話を聞いた。

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光文堂
創業70周年を迎える 〜 印刷のその先へ...

印刷を情報伝達の視野で捉えて事業展開、「未来への扉を開く」企業に

印刷ジャーナル 2016年1月1日号掲載

讃岐 社長

史上最悪の船出、スリム経営の実現で大逆転へ

 1977年、新卒期待のルーキーとして同社に入社した讃岐社長は、めきめきと頭角をあらわし、その後、福井営業所、北陸営業所、東北支店の所長を歴任する間、トップセールスマンとして快進撃を展開し、すべての拠点において売上の最高記録を樹立してきた経歴を持つ。当時の記録は未だ破られていない。1995年には早々と取締役に就任、続いて専務に昇格し、2010年2月、前・小澤社長からバトンを受け継ぎ、5代目社長に就任した。
 しかし、新社長としての船出は史上最悪の荒波のなかに漕ぎ出すことになった。就任直前に取引先企業2社が相次いで倒産し、4億円もの不良債権を被ることになったのである。しかし讃岐社長は同年4月の進発式において、努めて前向きな経営方針を発表したという。
 「新任の役員・執行役員を増やし、全国の各ブロック長を総移動させて人材配置の最適化を図り、役割分担と責任体制を明確にした。そして、この新体制で全社スローガンに『変革・情報・挑戦』を掲げ、1年後には決算賞与が出せるようにすることを宣言した」(讃岐社長)
 讃岐社長はまた、全国の拠点が抱えていた不良在庫および本部の不良機械在庫を数年で1円にして捨てたという。当時の在庫は1億7,000万円分ほどあり、売れれば良いが、売れる目処が立っていなかった。いわゆる含み損である。そこで讃岐社長は、損が出たぶんの半額を本部が持つことを条件にして不良在庫をすべて吐き出させ、いっぺんに処分したのである。
 普通の経営者であればこのような場合、何年もかけてリスク収縮に努めていきそうだ。このような思い切った施策をとった理由について、讃岐社長は「いったん身軽になり、筋肉質な会社に変化させなければ次の新しい挑戦ができないと判断した」と説明する。駄目なものは捨て、別の方法で利益を出すという考え方だ。そして同時に、徹底した経費削減にも取り組んだ。
 「売上は少しずつ回復していたので、勝算はあるとにらんでいた。社員一同も事態は理解しており、各々の持ち場で懸命に努力してくれた。その結果、2010年度は増収増益を達成することができた」(讃岐社長)
 わずか1年前、かつて経験したことのない窮地に陥っていた同社であるが、確実に息を吹き返しつつあった。

震災と不況にも負けずに続けた経営革新

 翌年2011年は、東日本大震災が発生した年である。被害は極めて甚大であり、日本経済も足下が揺らぐほど影響を受けた。これにより、同社の2011年度のスタートも険しいものになったのは言うまでもない。
 そのような中、同社では東日本エリアを支えるべく、本店がある中部地区、および西日本地区において、売上目標を引き上げた。また、震災の影響からか大口クライアントから大幅な値引き要請があり、再度経費の見直しを行った。
 「全拠点において、年間で最低でも100万円以上の経費削減を追加し、諸会費、新聞の数を減らし、平日の接待ゴルフは禁止にした。固定費である人件費を削ることもできたが、役員以外の一般社員の給与は1円も下げることはしなかった」(讃岐社長)
 その一方、同社は同時に販促活動にも力を入れた。讃岐社長は、もともとは自身がトップセールスマンである。豊富な情報と提案力により、取引先に商品企画の段階から伴走させてもらえるパートナーを目指した。
 「印刷業界のディーラーは通常、地元の印刷会社を相手に商売することが多いが、当社は全国にネットワークを持っているため、この強みを生かし、エリアを越えた最新情報を提供し、機械・資材を売るだけにとどまらず、それを使ってお客様がどのように利益を出すかを考えて提案していくように社員に説いた」(讃岐社長)
 讃岐社長は現在も、年に2度ほど全23拠点をまわり、全国の取引先を訪問することを自身に課しているという。1度まわるだけで1ヵ月はかかるらしいが、「お客様にいちばん近い場所にいることが大事」「お客様が利益を得るための情報の引き出しになる」という信念を自らが率先して実践しているのだという。
 こうしたトップを筆頭とする社員の涙ぐましい努力の甲斐あって、同社は2011年から2014年まで4年連続で増収増益を果たしている。

強みを生かしながら、新たなビジネスチャンスへ

 讃岐社長が光文堂の変革を続けていくなか、同時に力を入れてきたこと、それは他業界への進出を視野に入れたOEM製品の充実である。
 同社は2013年にKBDブランドと呼ばれるOEM製品10種類を発表した。この時点で自社ブランド商品は30種類以上におよび、その数は同業他社のなかでもナンバーワンとなった。その生い立ちから、商社でありながらも技術部を持ち、技術スタッフを抱える同社の強みを生かしたKBDブランドは、かゆいところに手が届く絶妙なセレクトと手厚い技術サービスによって好評を得ている。
 「お客様にいちばん近い位置で、お客様の役に立っていくことを目指す当社の営業マンは、いち早く顧客ニーズをキャッチすることに尽力している。その努力はOEM製品のラインアップにも生かされており、全拠点から定期的にOEM化提案シートが提出されセレクトに反映している。海外製品を日本の印刷会社が直輸入すると、日本の工場と規格があわないことも多いが、当社が間に入れば、それぞれの生産ラインに合致したカスタマイズを施してから納入することができる。製品特性を熟知した技術スタッフがメンテナンスや不具合にも対応するので、外国語で書かれた取扱説明書と格闘することもなくなる」(讃岐社長)
 また、OEM製品は同社にとってもありがたい製品になっているという。ただモノを売るだけではなく、メーカー機能を併せ持つ商社であることを周知でき、競合他社との差別化を図ることができるからである。
 新製品を発掘するため、讃岐社長は年間10回以上の海外視察に出掛ける。2013年の履歴だけでも、中国、パリ、バンコク、シカゴ、ベルギー、インドネシアの展示会に参加しており、同行する海外事業部の若手社員とともに精力的に情報収集に努めている。
 讃岐社長は社長に就任した当初から、印刷業を核としながらも新しい事業を立ち上げたいという想いを持っていた。そのため、情報伝達業としての役割を体現する印刷分野を飛び越えた商材の発掘にも注力した。2011年に発表した防水球体型LEDサイネージ「KBD GURU2LED」や、2015年に発表したバーチャル試作システム「KBDバーチャルサプライズ New Try On」などの商品は、紙媒体以外への新たな挑戦を表した商品である。

2016年の新春機材展は過去最大規模で開催

 1964年に第1回を開幕した光文堂単独主催の見本市である新春機材展は、2014年1月をもって50回目を迎えた。当初は中部地区において招待状を配布するだけであったが、次第に評判が広まり、北陸、関東、関西エリアと出展企業も拡大し、貸切バスをチャーターして遠方からの来場者に対応するなど、現在は全国にその名を知られる一大イベントに成長している。
 第50回の開催にあたり、新春機材展は新たな決意を込めて「Print Doors(プリントドアーズ)」と名称を一新。新しいネーミングは社内から応募を募って決定されたという。
 「新しいネーミングには、光文堂の新春機材展は、印刷業界の未来を開く扉であり、毎年、違う扉、つまり新しい付加価値が見つかる展示会であるとの意味が込められている。第49回からは、開催日をこれまでの土曜日から平日に変更したのだが、全社をあげて告知に努めた甲斐もあり、平日に変更した年は以前よりも来場者が増加した。70周年を迎える2016年の新春機材展は、140社・350小間の過去最大の展示規模となっており、このうち初出展の企業が20社含まれている。また、光文堂からは13種類の新製品を発表する。そして、かつての印刷業界において一世を風靡した活版印刷機の実演展示を行う。今後も出展社、来場者の双方から期待感を持たれる展示会にしていきたい」(讃岐社長)
 同社は近年、名古屋商工会議所が主催する異業種交流展示会・メッセナゴヤや、デジタルサイネージジャパン、ブライダル産業フェアなど、印刷産業以外の展示会にも積極的に参画している。これは、商社として商品の幅を広げているからできることであり、どの業界からも「光文堂の商品は時代の先をいく、非常に興味深いもの」と評価されているようだ。こうして積み上げた隣接商圏のノウハウは、同社を支える印刷業界へとフィードバックされ、業界全体の発展に貢献している。

新春機材展ポスター

印刷業界のNO1パートナーであり続ける

 「光文堂の歴史は、常に人の力によって支えられてきた。私に至るまでの4人の社長とそれを支えた次席の方々は、いつの時代も印刷業界の発展に胸を抱き、考えうる限りの努力と工夫で当社を前進させてきた。さらに社員は各時代のリーダーに応え、それぞれが自主的に考えて行動を起こすことにより、会社を盛り立ててくれた。そして何より、当社を信じて信頼関係を築いてくださったお客様の存在が当社を育ててくれた。全国各地に私たちを導き支援してくださるお客様がおられることは、大変心強く、非常に恵まれた環境に身を置いているのだと感じ入る次第である。当社は今後も全国を網羅した屈指のディーラーとして、社会から必要とされる企業であり続けたい。全社員が誇りと情熱を持ち、印刷を情報伝達という広い視野で捉えた幅広い事業展開を続けていき、皆さまのNO1パートナーであり続けることを目標に邁進していくことをお約束する」(讃岐社長)